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こんせぷと

犬を愛する、犬を大切にする、犬を守る。

これには何が必要でしょうか。経済的なこと?知識?思い?訓練?さまざまな考え方ができます。あるいは、いずれも必要かもしれません。

その中でいえば「知識」の一部になるでしょうか、「動物愛護」「動物福祉」というもののお話をしたいと思います。

私はこれらを知って、比較してみると、両方とも知っておいてよかったと思ったものの一つであります。

「イヌの幸せ」をどのように測り、また考えることができるか。

私が専門家として大切にしている 「動物福祉学」のお話。

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Amimal Welfare

​~動物福祉~

動物福祉

~Animal Welfare~とはなにか

 

「動物福祉」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。

少し似た言葉に、

「動物愛護」というものがあります。こちらは皆さんも聞き馴染みがあるかと思います。

実際には全く異なる性質を持っています。

​それではまず、動物愛護から。

“愛護”というのは、正しく英語に訳すことが難しくCompassion(コンパッションー思いやり)や LOVE(ラブー愛)という人の感情的なものを表現していて「動物を愛し、保護する」というもの。

ここまでみたところ、何の違和感もないように見えます。よく注目すると、人が主体であり人が動物をどのように思いやるのか、という人の精神性についての誓約みたいなものと言えるかと思います。

一方、動物福祉。

こちらは英語ではAnimal welfare といわれ、welfare は Wel=望みに沿って, Faren→fare=生活すること,生きること

と訳すことが出来るそうです。つまりは、動物が望むような、満足のいく、幸福な状態で生きること。

両者は似ているようで、違っていて、動物福祉という語は動物が主体であることを意味します。

動物愛護は、その個人がどのような考え、どのような精神性を持っているかが重要であり「~してあげたい」「私はかわいそうだと思う」というように、性質的に主観的なところが特徴です。そしてその精神性をもって「命」を大切に思う。というのがもうひとつの大きな特徴といえます。

“動物を愛し、大切にし、命に対して感謝の気持ちをもって育てる” まったくもって同意です。一方で、主観的な精神性のみで動物の幸福をはかることは、ときに動物を苦しめることがあるかもしれません。

「生きていれば、生きてさえいれば、必ず幸福は訪れるから今辛くても我慢できる」と動物は考えるのでしょうか。“考える”とはなんでしょうか。

私たちが“想うこと”と動物が“感じる”ことは、同じとは限りません。私たちは想像以上に自分勝手なものです。ですから時々は自身の考えに「〇〇ではないかもしれない」というある種の疑いをもって接する、考えることは相手への最大のリスペクト“おもいやり”に繋がるのではないかと私は考えます。

“客観的なおもいやり”ならば、家畜から伴侶動物まで多くの動物を、少しでも幸福な状態で利用、共存出来るのかもしれません。

動物たちが“今、こう思った”という精神活動があるのかどうなのか、興味深いと考える人は多いことでしょう。残念ながら現在の科学では正確に物理的に、それらを証明することはできません。それでもやっぱり目の前の動物、イヌたちのことを少しでも知りたいのでいくつもの学問の力を借ります。

その動物は人間に飼われていない場合、本来どのような環境で暮らしていてどんな行動をしている?あるいは、目の前にいる動物を、どういう環境におくとどのように行動が変化したどのように生理的な変化が起こった?“仕草”や“行動”こういった目に見える行動を通してなら、客観的に扱うことができ、動物の幸福な状態に少しでも近づけてやることが出来るかもしれません。

我々人間とは生物として大きく違うという理解も必要でありながら、一方で学問が変われば「行動のプリンシプル(原理)」は根本的に何も変わらないのだよ、といっている学問もあります。

私たち人間は、脳のある部分が他の動物に比べて進化しておりやや特殊です。唯一、地球上の生物の中で「言葉」というものを使って社会を形成していますし、一週間前のことを思い出す、一カ月先のことを想定する、今晩の夕飯の予定を立てることも出来ます。脳の比較的新しい大きな部分が進化してきている動物だからこそ出来るそうです。そんな人間が、自らの機能を中心に他の動物のことを考えることは。時には危険でもあります。

​動物福祉では、ある個人の思いや主観的なものとは無関係に、あくまでも動物が主体であり、人間が動物を利用していることを認めたうえで、人と他の動物の利益のバランスを検討していく。人間がいる世界で動物が少しでもその動物種らしく生きられるようにするために、日本の事情に合った「日本版動物福祉」とでも言いましょうか、それらは大変必要なものといえるでしょう。

動物福祉は、動物先進国イギリスで1960年代にできた考えです。

イギリスの農水省は、動物に対する“5つの自由”を定めました。

それが通称「ブランベルレポート」。

  1. 「飢えと渇きからの自由」(健康と活力の為に必要な新鮮な水と飼料の給与)

  2. 「不快からの自由」(快適な休息場などの適切な飼育環境の整備)

  3. 「痛み、傷、病気からの自由」(予防あるいは救急診察および救急処置)

  4. 「正常な行動を発現する自由」(十分な空間、適切な施設、同種の仲間の存在)

  5. 「恐怖と苦痛からの自由」(心理的な苦しみを避ける飼育環境の確保及び適切な待遇)

私が行動の専門家として、特に注目したいところは4番.5番です。

その動物に対して“よき理解者になること”とも言い換えられます。

その動物にとっての正常な行動とはなにか。

その動物にとっての苦痛や恐怖とはなにか。

これらについて知見や理解の深い人は、よき理解者である。といえるのではないかと考えます。

例えば、鶏という動物。普段私たちが有難く肉や卵をいただくことも多いでしょう。

鶏にとっての正常な行動とはなんなのか。また、それを発現させるにはどのような環境を与える必要があるのか。想像やイメージなどではなく、様々な学問を通して専門家が慎重に検討します。

最上部の写真のような放牧環境は、鶏にとって望ましい行動レパートリー(砂浴び、日光浴、産卵、活動)をふんだんに発現させることでしょう!(もちろん完全放牧となるとデメリットについても十分に検討する必要があるでしょう)

ご存じの方もいるかもしれませんが、日本の約9割もの肉類や卵は、一羽あたりのスペースを限りなく狭くしたケージ管理での飼育、つまり自然な行動をほとんど発現することが出来ない環境で過ごしていて動物福祉が考慮されていない環境で育ちます。ケージ管理のメリットもありますが、たいていは“人間にとっての”メリットです。これらは、伴侶動物である、犬などの世界においても同様に考察することができます。その環境設定は、誰のために、誰の利益のために行われいるのか。慎重に考えたいものです。

私は犬の専門家ですから、動物福祉の視点をもって、飼い主様へアドバイスをさせていただいております。

犬たちにとって“正常で、自然な行動”とはなにか。適切な環境を可能な限り与え、同時に飼い主さま(人間)の環境とのバランスをもって環境整備をする、お困りの行動を変えていく。その術をお伝えしていくのが、私たち専門家の仕事です。

ドッグトレーニング、訓練、と言われる世界、あるいは犬のトリミングサービス、ホテル、ドッグカフェ等犬におけるすべてのサービス、を考えるとき“動物福祉”という考え方はとても重要で最優先に考えることといえます。

そして私も然り、飼い主さま支援をさせていただく者は、飼い主さまの知識、価値観、行動に影響を与えうる専門家です。それはつまり犬自身の生活の質や行動に直結して大きく影響を与えうる者ですから「動物福祉」というものを知っておくことはとても重要であるといえます。

PEI'S WISE 西本一平

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